2件のお葬式に遭遇。
バリ島に着いた初日の夜に、借りたアパートの目の前のお宅でお葬式がありました。バリの伝統影絵を道端で上演していたので、初めは村のお祭りかと思っていましたが、聞けば3ヶ月前に亡くなった方のお葬式だと言う。「お葬式で影絵!?」と思いましたが、バリ島では、お金が貯まると盛大なお葬式をします。村人総出で影芝居を操り、ガムランを演奏し、女性陣はお供えを作り、ご近所さんや私たち観光客にもご馳走をふるまってくれます。そして、私が初めてバリ島を訪ねた20歳の時に衝撃を受けた時と変わらず、お葬式の参列者はみんな楽しそうに笑っています。
なぜなら「人間が人としての役割を終えて、神様になるための儀式だから」
▲海に散骨する前の浄化のお祈り。
▲亡くなった方の骨を抱えてご親族の方々が乗り込んだボートが、夜の海に消えてゆくのを静かに見送りました。
そして、出産と誕生日パーティ
▲新鮮なフルーツをテーブルにこれでもか!と乗っけた夕日を眺めながらのビーチパーティ。
▲昨年、今年と、バリ島での練習でご師事いただいいているアシュタンガヨガ正式指導者のおふたり。
私はラッキーなことに、たくさんのアシュタンガヨガの正式指導者の方と出会い、彼らの経験や知識、アジャストをシャワーのごとく浴びている。一緒に誕生日をお祝いして、ご家族と、ご友人たちと、生徒さんたちと笑い合える。同じ空気を吸い、同じものを食べている。
でも、それは、私がそうすると決めたからだ。
そうなることを望んで、覚悟を決めて、飛び込んだから、いまこうしているのだと思う。
決して、神の手によって動かされていることを期待してはいけない。
アシュタンガヨガのアーサナの練習では、こんなことだって教えてくれる。例えばバカーサナ(カラスのポーズ)で、「ジャンプして腕に膝を乗せる」動作が、「偶然に」あなたの全体重が腕で支えられているわけではないのと同じように。このポーズは、きちんと筋肉を意識して働かせないと、呼吸を、バンダを感じられるほどに十分に鍛えられ準備ができていないと出来ないのだもの。
それから、今回借りているアパートの持主の娘さんが出産のタイミングにも遭遇。3日間はいつもより盛大なチャナン(玄関のお供え物)が飾られていました。
お葬式にしても、出産にしても、誕生日パーティにしても、ご近所さん、観光客、近くにいるいろんな人に祈ってもらえるのがここバリ島。
人生のはじめと終わりを一気に見せてもらいました。
でも、ここの人々はみんな笑ってた。
人はどんなに強くても、ひとりで生きていても楽しくないもの。
人は神さまに近づきたいけど、結局は人の中で生きていく。
神様からの借り物である体をヨガで清めて、
だんだんと広がってゆく体と心を、いまここで感じています。
好きな人と笑い合っていられたら最高だよね。
と、練習しながらいつも願っています。
最後の瞬間まで。
あなたの練習が、今までの、そして、これからの人生の糧ときっときっとなりますように。
namaste ❤︎ masami